1979年6月16日、アフリカーナー(オランダ系の白人。アパルトヘイト政権時代、政治を牛耳っていた)が使っているアフリカーンス語の強制教育に抗議する15000人以上の学生達が、Vilakazi通りにあるOrlando West中学校を中心に集まり、行進しました。
この行進を止めようと、警察は学生達に向かって催涙弾を投げたり警察犬に攻撃させたりしていましたが、学生達が警察に向かって石や物を投げ始めたと同時に、警察が発砲。この最初の銃弾に、当時12歳だったHecor Pietersonが当たり、死亡。 発砲は続き、学生達はアパルトヘイトのシンボルであった、行政機構・公共交通機関などを攻撃。6月16日の夜には、ソウェトの至る所で火が登っていたそうです。 これが有名なソウェト蜂起です。 具体的な死者数は不明ですが、200人以上の学生が亡くなったと言われています。亡くなった犠牲者の大多数は23歳以下。ほとんどが背中に銃弾を受けて亡くなったそうです。 (ソウェト蜂起の映像はアパルトヘイト博物館で見ることが出来ますが、警察が逃げ回る黒人の学生を捕まえ、執拗に暴行を加える姿は目を背けたくなります) ソウェト蜂起の最初の犠牲者、Hector PietersonはMbuyisa Makhuboという男性に抱えられ、近くの病院に運ばれました。 その時の写真がこれ↓ この写真は世界中を駆け回り、Hector Pietersonは反アパルトヘイトのシンボルとなりました。(横に写っている女の子はHectorのお姉さんです) Hectorを抱えているMbuyisa Makhuboは、この後消息を経ち、未だ行方不明となっています。
by joburg
| 2005-08-15 18:08
| ヨハネスブルグ
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